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「非線形波動の古典解析」

まえがき詳細目次


はじめに

 絶えず移動するさざ波のかたまりを研究して,これを数学的に整理することはできないものだろうか。(N.ウィーナー)

 本書は,波動現象,なかでも非線形の波動現象を数学的に,それもできるだけ初等的に扱う方法を,かなり詳細に解説したものである。ここに言う「初等的」とは,本文中で徐々に明らかになって行くが,基本的には大学理工系の基礎的なコースを修了していれば,他の参考書をいちいち持ち出さなくても,少しの努力で十分理解できると言うことを意味している。必要なことはその都度,計算方法や注意点まで含めかなり詳しく解説してあるので,根気よく取り組めば理工系学部3年次の課程を終わっていれば十分に読解可能である。

 しかし,やはり問題意識等を考慮すると,理工系大学院修士課程の1年次レベルを想定している。例えば,修士論文で非線形偏微分方程式の新しい数値スキームを研究しようとしている場合,本書の中からベンチマークテストの対象となる性質の良く分った方程式を探し出すことができるであろう。また,工学系の院生で,非線形波動を研究テーマの中で扱いたいと言う場合,本書程度の実例と数学的手法を知っておけば,現実の問題に取り組む際,いろいろヒントにもなると思う。また,最後の章で扱った不安定性の問題や手法は,生命科学等でも話題になっている非線形非平衡系科学のリズム現象や,引き込み現象等の解明の糸口を与えるかも知れない。実際,本書は,同志社大学大学院工学研究科における講議「非線形現象解析特論」をまとめたもので,授業内容は波動現象を中心に非線形現象を数学の立場から眺めたものである。受講生は,環境科学,電気工学,機械工学,化学工学と工学の広い分野に渡っていて,予備知識も多種多様であるため,講議ではかなり初等的な部分を中心に扱い,かつ計算や証明は多くの場面で省略した。本書は,それらの講議内容にかなり詳しい計算や証明を補ったものと言える。

 以上が,理工学書としての本書の目的の概略である。次に,なぜ本書を執筆するに至ったかの著者の心理の経緯を書いておこう。

 実を言うと,我々数学者は,常日頃,自分の存在理由に漠とした不安感を抱いている。朝ふと目がさめると「お前は,他人様の,何か役に立っているのか」と誰かが耳もとで囁く。悪戦苦闘の末,たまに論文を仕上げると,ささやかな喜びの後に「こんな論文を書いて,いつの日か,誰かが実生活の中で使ってくれるのだろうか」と言う思いが襲ってくる。もう少し卑俗には,毎月俸給明細が届くと「こんなことをしていて,それなりの報酬を得ているが,許されるのだろうか」と自戒する。そんな思いが募ってくると,ついつい自分の専門は「応用数学」であると言いたくなる。何に応用するのだと言われると,苦し紛れに「物理学」と言ったりする。それでしばらくは,その手の憂鬱からは逃れられるが,その次には,人間が創った「数学」でなぜ「自然」が理解できるのか不思議でたまらなくなる。そんな時には,次のような小咄で逃れることにしている。

 神は天地創造の以前何をなされていたか聞かれた時のこと。「それについてはいろいろの人間がおびただしい見解を発表しているに違いないが,実は『純粋数学』の研究をしていたのだ。で,この辺で少し『応用』面をやってみると楽しいだろうと思ったのだ。」

 これはJ.リトルウッドの痛快な随筆[5,p.195]にも良く似た話しが紹介されているので,数学者の中で語り継がれている,かなり有名なジョークの一つのようである。ところで,この話はそれなりに含蓄のあるものに思える。と言うのは,まず第一に,とにかくこの世は数学の応用としてできているのだから,自然現象が数学で解明できるのは当然なのだ。他方,何せ途中だったのだから数学は未完成のままだし,おまけに,未完成の数学で創られた自然界はもっと不完全な物なのだ。だからこそ自然は不可思議で満ち満ちているし,頼りの数学も未完成なので,あの不完全性定理も成立すると言う訳である。

 でも,これら不完全な世界は,我々人間をがんじがらめにせずに,ある程度の進化の自由度をあたえてくれてもいるのではないだろうか。もし神様が,律儀に,純粋数学の完成を待って天地創造をしていたら,それこそ宇宙の進化もないし,生物の進化もなかっただろう。人間も全く変化せず,太古の昔と変わらず同じ退屈きわまりない暮らしを続けていたに違いない。考えようによっては,この気紛れな神様のおかげで,我々の暮らしも楽しくかつ充実しているのだろう。

 本書は,実は,応用数学者という仮の衣をまとった紛れもない純粋数学者に他ならない著者の,上に述べたエクスキューズそのものと言ってよい。しかし,もちろん,それ以外に,もう少し積極的な意味合いも持っている。

 流体力学の諸理論は,工学でもずいぶん研究され応用もされている。しかるに波動理論は,線形理論はいざ知らず,非線形理論はほとんどまともに扱われいていないように思える。非線形波動の研究者も,少なくとも日本では「非線形可積分系」へ傾きがちで,それらは連続系も離散系も極めて数学的色彩が強く,非線形波動現象そのものの応用からは増々遠ざかっているように見える。かく言う著者も,実はその一人である。そのような現実に対して,1960年代後半から始まったソリトン理論の信じ難いほどの爆発的発展が,工学へも好影響を与えて欲しいと願うのは,著者だけではないと思う。同時に,これだけ計算機が日常化し,Mathematica,Maple,Matlabと言った数学ソフトウェアが充実している昨今,数学的困難さを理由に非線形波動理論を敬遠するのは勿体なさすぎる。また,上にも述べたように流体理論は,工学の諸分野で相当使われているが,直感的に捉えやすいのは,流体よりは波動ではないだろうか。計算流体力学(CFD)へも,波動から入ってみるのも一つの方策であろう。

 そのような雑多な思いから,本書をまとめてみた。もちろん,思いと現実は大きく異なっていて,稿を進めるに従って,困難さが分かってきた。詳しく説明しようとすると,増々分かりずらいものになってしまう。かと言って端折ると,何がなんだか分からなくなってしまう。その適度な落とし所が難しい。例えば,「囁きの回廊」(whispering gallery)の部分も,音響の専門家に聞いたところ,日本では余りポピュラーではないと知り,エアリー関数の説明のついでに概説を試みた。しかし漸近解析や特異摂動の解説無しには完全な理解は覚束ない。かといって発散積分の解説をしていると,結局工学畑からは敬遠されるただの数学書になってしまう。そのような試行錯誤から生まれたのが本書である。成功しているかどうかは読者の判断に任せるしかない。

 ところで,冒頭の警句は,N.ウィーナーの著書「サイバネティックスはいかにして生まれたか」(鎮目恭夫訳,みすず書房刊,1956)から引用したものである。それに続いて彼は次のように述べている。

 そもそも数学の最高の使命は無秩序の中に秩序を発見することではないのか。波はある時は高くうねって泡のまだらをのせ,またある時はほとんど目に見えぬさざ波となる。時々波の波長はインチで測れる位になったかと思うと,再び幾ヤードにもなるのであった。いったいどういう言葉を使ったら水面をすっかり記述するという手におえない複雑さにおちいらずに,これらのはっきり目に見える事実を描き出すことができるだろうか。

 学生時代に読んで以来,いつも頭の隅に巣食っている我が愛しのトラウマである。この道に入って30年,未だその解決の糸口さえ見えぬその日暮らしの毎日だが,最も大切にしている生涯の宿題でもある。残念ながら本書はその宿題の解答では決してない。新しい結果は最終章のベンジャミン型不安定性に関するささやかなものを除いて,残念ながら何もない。有り体に言えば,創造力払底の死刑宣告前夜の著者が,日頃の悪あがきの際に地獄の泥沼でも溺れぬようにいつも携えているペットボトル製の浮き袋のようなものである。したがって,読者の護身用になるか否かは筆者には分からない。

 著者のエクスキューズとしての前置きはこれ位にして,本書のタイトル,および構成について簡単に述べておこう。

 まず,タイトルの「古典解析」だが,端的に言って,「関数解析」を使っていないと言う程度の意味である。確かに,KdV方程式に対する逆散乱法はスペクトル理論の範疇に入り,関数解析そのものだが,少なくとも解の構成法として実際に意味を持つ無反射ポテンシャルに関しては,関数解析を意識せずに済む。そう言う意味で,逆散乱法も古典解析の範疇と考えている。ではなぜ「古典解析による非線形波動」ではなく「非線形波動の古典解析」なのかと言うと,やはり著者が数学者であって間違っても物理学者ではないからである。本書を一通り書き終わって,全体を見渡してみると,やはり非線形波動を題材に古典解析学を論じているにすぎないことに気が付いたからである。

 ところで,古典解析の強みは,何と言ってもMathematica等の数式処理システムを使って,得られた結果を実際に計算できる点にある。本書の類書は,いくつかあるが,代表的なものとして田中-伊達[55],和達[59],渡辺[60],戸田[58],[57]を挙げておく。いずれも優れた書物で,拙著などと比較するのはおこがましい限りだが,それらと比較した本書の特徴は,多くの箇所で数式処理システムを使って実際に計算し,グラフィックスとして視覚化してある点である。上述の本ではあまりそれらの図版が多くないのは,これらの書物が書かれた頃は,数式処理システムも現在ほど身近ではなく,また,TEXもepsファイルの取込みの機能も無かったからと思われる。それに対して,本書は,そのような便利な今の時代の申し子である。本書は,文字どおり,著者のノートPCの中から生まれたと言っても過言ではない。

 次に,本書の構成について述べる。上で挙げた類書との差異と言っても良いが,内容的には,上にも述べたように,完全な数学畑の人間である著者が,物理の世界の代表的な現象である,線形移流現象,拡散現象,分散現象,そして非線形現象を数学の立場から観察したものである。そして,その構成(ストーリー展開)は,最も簡単な線形移流現象から出発して,その形式的な一般化として拡散現象,分散現象,そして非線形移流現象へと展開し,最終的にそれらを組み合わせた非線形拡散現象としてのバーガース方程式,そして非線形分散現象としてのKdV 方程式とソリトン現象を紹介すると言う形をとった。細かい計算も端折ることなく書いてあるので,小説を読むように流して読んで頂いて結構である。いや,そのようにして非線形波動の世界を楽しんで頂いて,結果,それらを工学の世界で活用して頂けたら,望外の幸せである。

 いずれにせよ,本書のテーマは非線形波動を楽しむことである。Rejoice!

 序文を終わるにあたって,この場を借りて,本書の完成にお世話になった方々にお礼を述べる。まず第一に,著者が手に負えない学生だった頃からいつも暖かい眼差しで見守って頂き,本書完成の際は推薦文までも頂いた大阪大学名誉教授池田信行先生に,心からの感謝を表したい。また,学部時代から数学の全てを御指導頂いた九州大学名誉教授田中俊一先生にも,格別の感謝を申し上げたい。また,本書執筆のきっかけを作って下さり,本書刊行までの全ての雑事を取り仕切って下さった森北出版の吉松啓視氏と森崎満氏にも心からのお礼を申し上げたい。また,本書のいくつかの図版を用意してくれたり,原稿を読んで計算間違いを指摘してくれた私の大学院生だった北山健児君,小南真一君,柴孝史君,斉藤大爾君,大倉裕史君,永野大輔君,山本悠君,吉川隼人君にもお礼を述べる。そして,いつもさりげなく激励してくれた妻の依子にも,それと本書の執筆に熱中しすぎると,側にやってきては遊んでくれとおねだりして,気持ちを解きほぐしてくれた愛猫のPooh へも,心からの愛を込めて感謝したい。

 最後に,楽しみにしていた共著の論文[44]の出版を見ることなく突然逝ってしまった学友浦久保正美君に本書を捧げたい。

 註.W. B. イェーツの詩「螺旋階段(Gyres)」[63] より
What a matter? Out of cavern comes a voice, And all it knows is that one word “Rejoice!”


目次

第1章 振動と波動
1.1 振動
1.2 波動

第2章 線形波動現象
2.1 線形波動方程式
2.2 ダランベールの解

第3章 数値解析 -有限差分法-
3.1 有限差分法
3.2 フォン・ノイマン安定解析とラックス・スキーム
3.3 さまざまな有限差分スキーム

第4章 フーリエの方法と擬似スペクトル法
4.1 フーリエの方法
4.2 擬似スペクトル法

第5章 拡散現象の数学的表現
5.1 1 次元ランダムウォーク
5.2 1 次元拡散方程式
5.3 1 次元拡散方程式の解

第6章 分散現象の数学的表現
6.1 線形分散方程式
6.2 波の速度と分散関係
6.3 囁きの回廊モードとエアリー関数
6.4 シュレディンガー方程式

第7章 非線形移流現象
7.1 非線形移流方程式
7.2 非線形効果

第8章 摂動法
8.1 摂動級数解
8.2 速い時間と遅い時間

第9章 非線形拡散現象 -バーガース方程式-
9.1 バーガース方程式
9.2 バーガース方程式の解の構成
9.3 バーガース方程式の数値解
9.4 バーガース方程式のその他の解

第10章 非線形分散現象 -KdV方程式-
10.1 KdV方程式
10.2 進行波解 -ソリトン-
10.3 KdV方程式に対する数値実験
10.4 ミウラ変換とKdV方程式の等スペクトル性
10.5 KdV方程式のラックス表示
10.6 過剰決定系の両立条件

第11章 1次元シュレディンガー作用素の散乱理論
11.1 散乱理論
11.2 逆散乱理論
11.3 無反射ポテンシャル

第12章 KdV方程式の厳密解
12.1 KdV方程式の逆散乱法
12.2 無反射解の構成
12.3 KdV方程式の保存量

第13章 KdVソリトン解再論
13.1 広田の直接法
13.2 広田の方法によるソリトン解の構成

第14章 その他のソリトン方程式
14.1 mKdV(±)方程式
14.2 非線形シュレディンガー方程式
14.3 サイン・ゴードン方程式

第15章 不安定現象
15.1 ベンジャミン型不安定性
15.2 非線形シュレディンガー方程式の不安定条件
15.3 フーリエ型摂動1次近似解
15.4 ヒル作用素のスペクトルの帯構造
15.5 ヒル作用素の単純周期スペクトル
15.6 サイン・ゴードン方程式のベンジャミン集合
15.7 サイン・ゴードン方程式の広田差分スキーム
15.8 ベンジャミン型不安定現象の図示

第16章 エピローグ
16.1 波,波,波...
16.2 ラックス=インディ・ジョーンズ?

参考文献

索引

アップデート:2009/04/08

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